あるとなし

世界の切り替わりを望んでいる僕と、世界がいくつもの層に折り重なっている事実を知った僕。両方とも、特に心は動かなかった。

目の前に本気で取り組んでいる物事があったから僕は幸せです。とも言えなかった。
好きなことでお金を手に入れることができても、心は動かなかった。

誰かは言う。「誰かと比較することを取り除けば幸せになる」。また、誰かは言う「誰かと比較することでテンションが上がる、パフォーマンスも上がる」

たとえ世界が切り替わらなくても。たとえ自分が変わることをしなくても。私が、私に出会えた時、大抵が幸せを感じることができる。そして、その出会いは、探さなくても生まれた時から今まで「在る」。ただ、忘れているか、思い出すことを避けているか。

忘れたままで、幸福かもしれないし。思い出すことで、現実が歪みだす可能性もある。その人にとって、何が善で、何が悪なのかについて考えることが生きがいであれば、そうすれば良い。

自分はすごいでしょう。と言いたくなる気持ちが、自信のなさを含んでいることは周知の事実だし。人に合わせて、モヤモヤしている中で生きることも良いではないか。

つまり、何かと一体にならなければ起こりえない幸福感は、もともとないのと同じ。本当の自分を探さなければ起こりえない、人生の価値に、価値は無い。

 

誰かの意志

私たちが目指すべきものは、月の裏側を探したところでみつからない。

遠くにあると信じている私たちの目指すべきところは、毎秒血液を送り出す別名「心」の中に記載されているものの、その文字は読めなくなっている。

あなたの目指すべき姿は、鏡に映った私のような存在の進化系ではなく、生まれたての姿に近い退化系でもなく、その両方で有り難い。

探すことをやめたところで、その探し物がなくなるわけではないにも関わらず、私たちは探す、探さないという両極に疲れ、あるがままを「心」に提案する。

しかしながら、消去法で得られた解決策は、大抵がもともと私たちが設定していた、第三の検索ポイントにすぎず、答えではない。

一番大切なものと定義した上で、それが必要か不要かを念入りに検討したとして、その大切なものは、幻想か、被造物、もしくはその過程にある「何か」。

あるようでないもの。ないようであるもの。

私たちが本当に探し求めているものは、何かと何かの間にあるもの。

その何かについて、必死に言葉を当てはめようと努力を重ねるも、その何かを定義した瞬間それは、私たちの意識が、縛り付け固定化した、創造物に形を変える。

私たちが本当の意味で、無から有を作り出す能力を備えているとしたら、私たちが、何もないものについて、言葉を当てはめる行為こそ、エネルギーを作り出すこと。

言葉を有した固形の被造物の中にある振動が共鳴した瞬間、私たちが現実と呼んでいるものが無数に立ち上がる。

〜私たちが忘レルヨウにプログラムされている、創造する行為の本質について〜

タブレット(ほぼ備忘録)

エジプト初期王朝時代、ギリシャ神話のヘレニズム神とエジプト神話のトート神が融合し、神秘主義的な古代思想が生まれ、その威光を継ぐ人物として、錬金術師のヘルメスが神格化され、

ヘルメス・トリスメギストス

と称されるようになった。

「トリスメギストス」とは、3つを合わせたもの、という意味になるため、3倍偉大なヘルメスと訳される。

ヘルメス主義とは、「ヘルメス文書」に基づく、哲学的、宗教的思想の総称である。占星術、錬金術、神智学、自然哲学を含み、神秘学とも呼ばれる。

※トート神は、頭が鳥。時を司る神。

ここまで読んで、ちょっとやばい方向に行っていると感じた方。

正解。

最近はもう頭の中はエジプトでいっぱい。

エジプト、ギリシャ、ローマ、なぜかわからずに言い続けていた、その答えがゆっくりと落ち着いている感じ。

そして、エメラルドタブレットの錬金術。

トート神の伝説について書かれた本。

止まっていた好奇心の歯車が動き出している。