好きと嫌いを超える

染井碧です。

さて本日は、好きと嫌いを超えることについての物語です。

私には叡という名の双子の兄がおります。

彼は、自らを未来から来たと常に申しております。

ある時にした会話をここに記載します。

ある時私が、未来の事を教えてくれないかと冗談半分、本気半分で言ったときのことです。

2人は、海沿いの丘の上にある喫茶店にいました。

彼は不思議な笑顔で、未来って分かり易いから使ってるけど、本当は未来は無いんだよね。と答えました。

ならば、過去は?と聞くと過去もないよ。と。

そこで、私は聞きます。今が全て決めているって事?

すると彼は、「そういう、どこかで仕入れた事を本気で信じたらダメだよ」と、顔を少し角度つけて空を見上げながら言いました。

「情報や知識の仕組みを応用したのが地球上のビジネスの始まりだからね。本質は何かとか、本当はとか、地球人好きだよね。でも、全て造られたものや、事だから、今に生きるとか、自分がしている事を好きになるとか、そんな情報は商品だと思わなきゃね。あらゆる商品の中で、何を買うかということなんだよね」

彼はこれらの話をするとき、ガラスのコップに刺さっているストローの先をつまみ、くるくると回します。

私は、このような話は昔から好きだったので、もっと聞かせてと兄に頼みました。

 兄はストローをつまんでいる手を止めて、頷きました。

「未来というか、2767年というパラレルワールドでは、好きと嫌いという言葉が無くてね」

今は2017年ですが、兄は2767年を知っているというのです。ちなみに染井家は、750年前に開祖がいると兄は言います。地球上の人が言う、時の流れで言うと、と付け加えて。

好きと嫌いが無かったら、何があるの?と私は聞きます。

「何もないよ。何もないと言うか、全てがあるから、分ける必要がないんだ。難しいよね。でも、この感覚を今の地球人が知ってしまうとね、全てが崩壊するから、絶対に分からないように、混乱するプログラムが組み込まれてる。混乱させながら、幸せになるには、この混乱の先に行かなくてはいけないと思わせる。これが、はじめに造られたモデル。全てはこのモデルの上に成り立ってる」

いつ、切り替わるの?と、私。

「切り替わらない。2767年は、ここにあるから」

続く。

愛の輪

染井碧です。

5年ほど昔になりますが、前世リーディングを初めて行った時のことです。
その方は、私の顔をみてそうそうに、「今世が最後ですね」と仰いました。
その時、私は前世を信じていなかったので、そのことを正直にお伝えしました。

すると、「あなたは、相当回数転生されています。人生での成功や、挫折、苦しみや喜び、あらゆることを経験してきたのですが、愛についての学びが残っている為、最後に地上に降りてきたのです」との回答が。

続けて、「前世を信じていなくても、なんとなく惹かれる写真とかがあるはずです」

私は申し訳ないことに、本当に信じていなかったので、あります。とだけ答えました。

すると、あなたは「イタリア半島・ギリシャ」に多数転生されているので、思い入れがあるはずです。と。続けていろいろなことを話されました。そこで、ああ、前世ってあるのかも。と思ったわけです。

どちらかというと私は、みなければ信じないというタイプでしたので、この時はあるのかもという感覚で終わりました。

ただ、「愛」についての学びとは何だろうかというのだけは、それからずっと心にわだかまりを残していたのです。

最近、そのことについて仮説が生まれました。私が思う愛はこういうものです。

「愛はピンポイントではなく、サークルと面で構成されている」

ピンポイントの愛は、言葉としてなにが適切かわかりませんが、ひと時の共感とか、人がしがみついている「愛」だと思っているなにか、だと私は考えています。

私の愛は面構成なので、どこに立っていても、その立っている場所が愛であり、ずれ、という感覚が起こらない。

さらに、その周りに円があり、私たちは常に包み込まれていて、その円は地下や天空まで果てしなく伸びているヴェールで守られている円柱なのです。

私が動くと、私と一緒にその愛の円柱も動きます。

それぞれが少しずつ重なり合いながら、互いの愛の面積を増やすための努力をしているような気がします。

 

染井碧

前世の記憶

空の青さと、海の青さが同じだと思ったのは、そっと風が髪の毛を揺らした時だった。とても静かな景色であるため、太陽の光に音がついているような錯覚になる。

じりじりと音が聞こえてきそうなくらい強い太陽の光が海、面に反射して白い粒が現れては消えていく。私は座っている海辺の壁に横になり、より一層太陽が見えるような態勢になる。

私がなんという名前で呼ばれているのかは、わからない。その部分だけノイズが入るからだ。

何度も観たこの映像の後に、場面が転換する。

私は全力で駆け上がっている。誰かの手を強く握りしめている。後ろを何度も振り返ると大きな津波が迫っていて、後ろを見ていけないと、自分に何度も言い聞かせながら、この町で一番高い場所を目指そうとしているようだ。

また、場面転換。水の中で誰かの手を握っている。その人の手を放した瞬間に私の記憶は消える。

これとセットで思い出す過去は。

たぶんローマ。通常テレビで見る赤いマントではなく、黒いマントを羽織っていて馬上で下を向いている。前日に、上官と言い争っていたから、あまり眠れなかったのに、上を向くと野営の火が消されて、煙が立ち上っている。これから戦争だ。

上官とは、考え方があわず、いつも言い争うことになる。私が死なせたくないのは、そのすべての人であるということを何度言っても、そのような考えで将軍を目指す人はいないと、言われている。誰かを死なせない。そこは共通であるのに、その誰かは、上官にとってはローマ市民であり、この戦場にいる兵隊ではないそうだ。

思い悩んでいる様子を隠すため、こうやって早朝一人で崖の上に立っている。

 

この二つの夢は何度も観ます。

本屋などで、ふと足を止めるのは、ギリシャの神殿の写真。
私の知り合いなどは、仏教関係ではないかと言いますが、あまりピンときません。
前世はないかもしれないし、あるかもしれません。

その答えは、もう少ししたら明らかになることでしょう。
答えが明らかになりましたら、またここで報告します。

染井碧