2018年振り返り

2018年もあと数日で終わりとなります。
一年を振り返ると、「いろいろなことが起こった」と毎年自分自身で体感するのですが、今年は例年になく本当にいろいろなことが起こった一年でした。

一番の気づきは、エネルギー値です。

人はどうしても自分の感情(脳)と体と精神を一緒に考えてしまいがちですが、感情では断ち切ることが難しい出来事も、エネルギー値という側面で考えると、自分に最適なものを選択することができるような気がします。

選択自体は何も間違っていないのですが、その選択をして後悔するのが脳。

自分に正直にと自分に言い聞かせながら、その正直になるべき自分がそもそも正直ではない場合もあります。

思考や、体の中の各細胞、そして食べ物から言葉に到るまで。

全てに存在するものがエネルギーです。

古代ギリシャでは、エーテルとか、イーサと呼ばれていました。

全てに普遍的に存在するもの。

それが知りたくて、いろいろなものを学んでいたのですが、「それ」が最初から無くて、無いと言うより、満ちているため固定されないものだと気が付いたとき、感情では無い部分で選択ができるようになりました。

自我は自我のまま、鎮座しており、活動をしますが、それを包む「あわ」が何層にも重なっています。それは魂とも言われますが、それは外面にも中の核にもなく、ただ、全体に満ちているものです。愛でもあり、魂でもあり、エネルギーでもある。

そのようなことに気がつきました。

さて、2019年。

どうなるのでしょうか。
現実的なエネルギーは大きく変わる。
いろいろなところで言われています。
変わっても変わらなくても大丈夫。

なぜなら、変わり続けるものがこの世界だから。

来年は、ビールを使ったメソッドの公開と
自著の小説を書籍化することと、映画化へ売り込み。
アーティストとしての一年になりそうです。

2018.12.27
染井碧

ラジエルの詩-ONE-

この世界には イーサという力がある
人によっては エーテルと呼ばれる
その力を 使いこなすことが出来れば
人と意識は 幸せになると 信じられている

しかし それは本当は見えるのに
自らを盲目だと信じ
目を閉じているようなものなのだ
この場所で 私トートが
神官として目にした数多くの出来事は
そのほとんどが その意識の開眼
ただ目を開ければいいという
事実であった

私に 知恵を授けてくれた
イーサ意識は

******
言葉を発するとき、
その言葉に
根源を宿らせるのか
宿らせないのかを
正確に見極めなさい
******

意識体であるラジエルを通じ
常に言っていた

私が 言葉を作るきっかけになったのは
この教えが 元々の原因となった

意識だけでは
世界を変えることは
できない

あと二つ
必要なものがある
言葉と空間である
時は 形がなく
しかし時が 空間を生み出す
この法則を使い
私は エジプトにおいて
言葉を司る神として
存在することになった

真実は いつの時代も
時代が 巡っても
同じことを 教えてくれる
私たちは 何も持っていない
と 同時に 全てを持っている
という 真実

大きな流れの中で
そこに起こる微細な出来事に 注意を払い
そこになぜ その文字が存在するのか
なぜそこに この出来事が存在するのか
これらは 一切考えてはならない
目の前のことに ただ導かれ
観察しながら 導きに乗ること
そこに 自らの意識を入れずに
自らの感覚で 判断しない
そのことに 注意を払えば
いずれ 分かるようになる

この星で 人は
人として 認識できる存在として
【人のような形】
である外面と
内面として定義されている【意識】が
明確に 分けられている
そして 意識と肉体を包むように
魂が 円で覆っている
三者のことを 理解するようにと
神官学校ではまず教えられる

霊妙な意識は
学びはじめの存在にとっては
未知なるものである
しかし そこに憧れもある
私が最高神官となる過程も
全ての従者にとっての それと同じだった

私がラジエルを師として仰いだ時
私の今回の肉体周期においては
360年が経過していた
精神は25000年
魂は 始まりがわからない
私の意識が追える時を
はるかに凌ぐ時の経過だった

あらゆる場所に存在する魂は
私と 私以外を 分けるものではなく
全てが 統一されているものである
魂から分離した精神は
幾度となく 肉体を移り変わりながら
新しい肉体に宿ることを目的に
あらゆる時に充満することを
覚えるようになった

ラジエルはいつも
クリスタル・サークルと呼ばれる
円柱の塔 その最上階にいた

私を含め 神官となることを願う
意識体はその場所に行き
ラジエルに会えるかどうかの
二極を試されていた

ある時 ラジエルに会いに
塔を登った私の友人は
ラジエルの存在のみ感じ
その肉体を 見いだすことができずに
戻ってきた

そこで私も
今この瞬間
ラジエルに会うことを
目的として
塔を登り始めた

塔は七階層に分かれており
その最上階に行くまで
通常の肉体時間で換算すると
太陽暦で三日ほどかかる
途中 日の出と 日の入りを
全て観ることのできた私は
運がいいのだと感じた

塔は 常に風が吹いていた
上の階層に行けば行くほど
その風は強くなり
私が飛ばされて
下界に落ちてしまうのではないか
との恐怖を覚えた

三日目 私が最上階に着いた時
そこにラジエルは存在せず
ただ イーサ意識を感じたが

ラジエルの肉体を
認識する事はできなかった
そこで私は イーサ意識に
そのまま語りかけることに挑戦した
そこに 私が知っている
言葉を使う必要はなかった

イーサ意識は 即座に
私の意識に入ってきた

意識を意識だと定義する際
そこには第三者意識が不可欠となる
意識は単体で現れる事はない
意識が単体で現れる時
それは【在る】状態として存在する
その在る状態を人は、神で在るとか
愛で在ると言葉を当てはめるのだ
まだ言葉が存在しないとき
人の意識は神や愛を
分けることができなかった
分ける言葉が存在しないので
分けることができなかった

私は 念じた

私が 次の周期に行けるように

私は未熟であったため
私の念が即座にイーサ意識に
通じるのだと錯覚していた
意識が入ってくるのと
意識を送るのには
意識とは別の

【心】という名の

肉体に依存する存在を
受け入れる必要がある
私にはまだそのことを知る
タイミングではなかった

私の意識を
あなたの言葉で
書き留めるように

イーサ意識が再び
私の中に入ってきたので
私は その場に平伏しながら
エメラルドの鉱石を 薄く伸ばし
板状にし その上に手を当てた

**

全てが繋がっている

この言葉の側面は

あらゆるこれまでのことが

今に繋がっており

これからのことにも

繋がっていることの証である

それをつなぎとめるイーサを

兆しと呼ぶ

私の意識はイーサであり

全てをつなぎとめる兆しである

前兆とは

全ての事象

全ての未来における

兆しの

連続性である

意識体が望んだ事は

その電磁的性質の通りに

伝搬していき

物事の根源を貫く

繋がれた根源から

派生した一つの現象を

目で確認できる現実

と呼んでいる

神官の道は

この目に見えるものと

目に見えないものを

つなぐものである

**

イーサ意識から
流れ込んでくるものを
言葉に変換して
私はエメラルドタブレットに
刻み込んだ

誰にとって?

学生の頃、道徳という授業があった

道徳、良い人、相手に嫌な思いをなんとかかんとか

ところで、相手に対する自分を

徹底的に教わった私たちは

もっとも大切にしなければならない

自分に対する取扱説明書をもらった事がない

人のことを思う美しさや

相手が辛いときに寄り添う優しさ

なんてものを徹底的に教わるが

自分のことを認めることを知らずに

70年ほど生きる

これは私的には大きな洗脳だ

とはいえ、自己中心的な振る舞いや

相手のことを考えない生き方は

なぜかとても反感を買う

自分という肉体がいなくなった世界なんて

存在しないも同然なのだから

自分のことを大切にしたほうがいい

というと・・

自分の言いたいことを

言えなかった思いを今こそ!

って、グラディエーターみたいに

剣と盾を取りに行く人がいるけど

そういうことじゃない

相手と自分と二極化させている段階で

それなのに自分の肉体の構成を無視して

脳が欲するままに生きていて

自分の肉体を大切にしていない人が

自分自身と向き合うなんてハードル高いよ

ということを言いたいだけ

自己中心的という言葉があるけど

自分が現実を作っているのは事実で

誰かのせいにとか、自分の能力がもう少し高ければとか

自分の才能がもっとわかればとか

もっと、ちゃんと世界を見てみよう。

成長していない自分は、ない

誰がどう考えても、全ての命は

成長するために存在する

成長しているかしていないかなど

愚問以外の何物でもない

成長以外ありえない