「欠落」と認識するものは、自尊心の裏返しか

みなさま、こんばんは。
碧です。
 
最近、色々な私がいるので、誰が誰だかわからなくなっていますが、一番碧が落ち着きます。
 
さて、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
ちょうど今しがた、とある広告で、「こちら、絶賛成長中」という文言をみて、ハッとしました。
 
今よりも楽になりたいとか、あまり労力を使わずに、自分がしたいことをしたい時間に行えること。これはとても魅力的ですね。
 
しかしながら、成長にフォーカスすると、必ずその代償として何かを差し出さなければならないと誰もが信じています。
ですが、大いなる後悔は、それだけ自分を過信しているという裏返しでもあり、完璧を人生に期待すればするほど私たちは苦しくなります。
人生とは、借り物の総称です。
大きい話をすると、命は全て借り物であり、いつかは返す必要がありますね。借りた命を使いながら、与えられた使命を思い出し、または自らで設定した使命を遂行しながら、私たちはその全ての現実に起こる営みすべてに、自分がいないことに気付いていきます。
レンタル。と書かれたものに対して、これは私のものだ。という人はいないのですが、人生においては、レンタルしておきながら、これは私のものだ。と言いながら自らの喜びを一つ一つ閉ざしているのではないでしょうか?
私たちに欠けているものは、ない。
しかしこの言葉には、決して「あなたは何もしなくても完璧です」という論調を含めないようにしたいものです。
与えられた命を、与えられた使命のもと、生きていく。
その命の流れそのもの、フローのことを私たちは本来神と呼ぶべきではないかなと。
染井碧

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