天は自ら行動しない者に救いの手をさしのべない

タイトル:シェイクスピア

こんばんは、染井碧です。

2017/09/18に、四神プロジェクトで、伊勢神宮へ行ってきました。

四神プロジェクトというのは、あくまで表向けの表現であり、その本質は、単なる大人の遊び。いうなれば、既成概念という言葉自体に宣戦布告を行なった勇敢な大人四人の物語でもあります。

そして、これは四神の一人である私「朱雀」が伊勢に祀られしアマテラスと対峙して感じ、整理する過程を物語にしたものです。

この世界で生きる私たちはいつも、常に、何かと何かを分ける戦場に布陣しています。そして、わかっているとかわかっていないとか、自分以外の誰かに憧れ自分が一番近くにいるのに、自分を一番大切にしていない。そういう状態になってしまいます。

しかし、神宮を目の前にして、手を合わせて、じっと自分の心を見つめてみるならば、神にお祈りをしている自分という主観から一時視点が離れ、客観的に私を見つめることができるのです。

私は、このような表現すらも陳腐になる程、神宮にて手を合わせてしばらく無に帰するだけで、何かと一体となりました。その何かとは、絶対に言葉にはすることができないものでした。近い表現をするなら、私がこの世に物質化された命として誕生するずっと昔からある、命の本質というものです。そして、同時に何かから離れました。

そんな数時間を経験する中でも、自分がこの世界は別世界だと分けてしまっているものだから、勝手に半分に分けた世俗という世界に飲み込まれそうになるのです。

しかしそれは世俗でもなんでもなく、私が世俗だと名前をつけて判断したもう一つの世界かもしれませんし、パラレルワールドの片割れかもしれません。

統合しよう。

自分に還ろう。

そんな意識にかんじがらめになっていた、私の気持ちが変わり始めたのは、外宮ではなく内宮でした。どちらかといえば、外宮は自分の中心を起点とした周りのこと。荒れる波をちゃんと見ろというメッセージ。

そして内宮は、外、中、私、周囲が溶けてなくなり、私ってなんだっけ、なんで生きているんだっけ。どうしてここにいるんだっけ。という根源について反芻していました。しばらく木々を眺めていると、生きることの覚悟が自分に満ちてくるのを体感しました。

伊勢に来るまでに起こっていた、私の周りでの出来事が私を揺れ動かすことを拒否しない。そしてその出来事を受け入れるわけじゃなく、排除するわけでもなく、見つめる。そして、その揺れを止める覚悟を持つこと。

その覚悟が、ゆっくりとエレベータのように、自分の中心を超えて、自分の体から大地に下がっているのを体験してから、全部どうでもいいことじゃないかと思い。もちろんいい意味でです。

そこから一日がたちました。心が穏やかになっているとか、全ての景色が輝いて見える。そんなことは、ありません。当たり前です。変化を好む人間の悪い癖ですね。何も変わっていませんし、世の中の出来事に対応する力が満ちているとか芽生えたとかそういうこともありません。

私が、今言語化できることは。

私は伊勢に行ったということ。そして、そこで過ごした時間があったということ。その時間を体感して、言葉にできない心の変化を経験したということ。

変わらない。変わろうともしない。神に救ってもらうこともしないし、神に願うこともしない。言葉にできないことを、神に伝える。

心の変化が起こったから世の中の全ての出来事にもっとうまく対応できるという淡い期待は、人間が作り出した大きな嘘の一つでしょう。

何も起こってないように思える、表現できない心の動きが在ることを信じてみようと。そんな気持ちです。

 

染井碧