短編物語:街中ホスピタル

「今、街を歩いているとする。喧騒の中、静寂を感じるのはどうしてだと思う?」

羽釜アキラは、読んでいた本を閉じながら私に聞いた。

「それは、静寂を知っているから。それか、喧騒を知っているから」私は、羽釜が本の上に置いてトントンとゆっくり叩いている右手を見ながら答える。

「惜しい」羽釜は、言いながら右手を止めた。「あなたがいるからでしょう」羽釜は、私が何かをいう隙間を与えないかのように、店員さんを呼ぶ。

「アイスコーヒーお代わりね」店員から私の方に向き直り、羽釜は口角をあげる。でも、目は笑っていない。

「さて、これは、あなたの物語なわけだけど。例えば、雨が降っていて、その雨のおかげで、誰か好きな人との時間が引き伸ばされたとする。その場合、あなたにとって雨は幸運の女神というわけだ。女神じゃなくて、神かもしれないね。しかし、同じ状況の中で、その雨により、悲しむ人がいる。次に、雨に視点を移してみる。すると、自分はただ単に上から自然の法則によって、落下しているだけにもかかわらず、様々な人々の喜怒哀楽のトリガーになる」

私は、言葉を探しながら返答するタイミングを測る。

「全ての物事を、いいように捉えるという考え方があるわけだけど、それはどちらかといえば、観る方向をわけなさいというようにも感じる。とても不思議な話なんだ。例えば、俺。俺は、誰かに作られた人格であり、その誰かが作ったストーリーを生きている。だから俺は、こういう風に考えたいなと思う必要がないんだ」

「そんなバカな」私は、考えもせずに言葉を出す。

「あなたもそうね。あなたが何を答えたらいいのか一生懸命に考えていても、言葉を出すタイミングは、全て決められている」

「じゃあ、生きている必要がない。無意味だよ」と私。

「ほら、ここで反発することも想定の内。では、なぜ、俺たちは生きているんだろう。なぜ、言葉を知り、その言葉で人とコミュニケーションを取るのだろう」羽釜は、上を見上げる。

「ねえ、神様。教えてくれよ」天井からゆっくりと視線を下に向け、彼は私の方を見ずに、店員さんを見る。目があうと、手を振った。「神は全てを知っているから。これを人は運命という表現にしたがる。するのではなくて、したがるんだ」

「どういうこと?」私は、コーヒーカップに口をつける。もうある程度ぬるくなっている。

「神様が全てを知っていて、全てを作ったとしても、だね。それを超えるある事が俺たちには備えられているんだ。それが物語であり、想像力。物語は、平面ではない凸凹の地面に投げつけられたボールの行方のようになる」

「物語なんて、作られたものでしょう」私が話を続けるより先に、羽釜は口に手を当てて耳を澄ます仕草をする。

「その作られた物語が、あなたの人生よりも価値がないと思える?本当に?ここでこの物語は突然終わるんだ。では、この物語が現実ではないと思いながら、先が気になるはずだよね。俺も、あなたも死ぬわけではないから。例えば、ほら。あそこの窓、一人の男性が、ハンマーを持って走って行ってるでしょ?」

私は、羽釜が指差す方向を見る。そこには上半身裸の男性が、全力疾走で窓に体当たりをしている。体当たりをしても何も起こらない窓に対して、彼は右手のハンマーを振り下ろす。しかし、窓は何も起こらない。

「神様が、あの窓が絶対に割れないように設定しているからなんだ。ほら見て。」

羽釜が飲んでいるアイスコーヒーを指差すと、パーンという音を立てて、彼のアイスコーヒーのグラスが割れた。

「そうあって欲しくないとか、そうあってほしいという願いを神様が実現する。だから」

そう言うと、羽釜は目を閉じた。気配を感じ私は振り返る。

まだ見たことのない、孫の顔。なぜか私はそう思う。振り返った先の人物は全身びしょ濡れで、右手にはハンマーを持ち、今まさに私の頭にそのハンマーを叩き付けようとしているところだった。

**

「ねえねえ、お父さん、この人死んじゃうの?」私は、夏菜子の声で我に返る。

「いやいや、死なないよ」私は、夏菜子の頭を撫でながら本を閉じる。そして、上を見ながら、頭の中で想う。

「ねえ、神様、教えてくれよ」