現実と見えない世界を同時に受け入れる。

碧です。

今日はある記事をみて、物語を書いています。

私は最近、大きくパラダイムシフトをしました。

それはある人々にとってはドライになったという認識になるでしょうか。

また、ある人々にとっては冷たくなったという認識になるでしょうか。

これは説明が非常に難しいのですが、私は今、現実と見えない力をあえて分けています。なぜなら、全てが一つだと思っているからです。一つを認識すれば分けることもできるのではないかという仮説に基づいてです。

私が日頃から話している50:50の究極かもしれません。

この世界は、私たちの認知に基づいて形成されています。ですが、量子物理学の主張する、見るまではその個体は形になっていなくて、物事は観察者の存在を必ず必要とするという考え方もわかると同時に、それだと私たち人間が認知することがとてもおろそかにされてしまうということが危惧されるわけです。

同じものでも見る場所が違うということは、簡単にイメージすることができます。まるで、新宿駅にいるにもかかわらず、違う場所に降りた人たちが絶対にリンクしない単語を話すかのように。

この解釈を、大きな概念で捉えると、こうなります。同じ地球にいながら、場所によってそれは大きく形を変える。私たちは、知識があるため地球が丸いと、「知って」いますが、地球上に立っていながら地球が丸いと認識するのは非常に難しいのです。

このように、認知は人の生き方に大きく影響を与えるということです。

ですが、だからと言って、見える世界を信じず、見えない世界に傾倒すれば幸せになるのかといえば、それは少々疑問なのです。しかし、現実世界を否定し、見えない世界のもつ力に傾倒している人がとても多くなっているように感じます。だから私は、今このタイミングで、私が認知している現実にフォーカスしていこうと思っているのです。

宇宙の大きな計らいで、私たちは生きていますが、私たちが何かを認知するプロセスも宇宙の大きな計らいの中に含まれている。そう考えると、怒る人のことを「あの人は人間力がまだまだである」と判断することはできないはずです。何かを認知し、感情的になっているその裏側にあるのは、脳の大切なプロセスだからです。

脳の大切なプロセスに注目すれば、目の前の現実がとても辛いと思っていることすら愛おしく思うという風に、脳のプロセスに少しの余白が生まれます。

現実を否定して幸せになろうとしない。

そうやって3次元の中で生きていればいいさ。私たちは高次の存在として愛をばらまく。と言われても、高次の次元に存在するパワーでは、水を飲むことはまず難しいでしょう。ポンプという現実があり、それを認知していなくとも、その裏側にはポンプの大きな働きがあり、その恩恵により私たちは水が飲めるわけです。

では、自身の手で水の湧き出るところで水をすくえばいい。確かにそうです。しかし、そのためには、あなたの持っている時間という現実を差し出す必要があります。

この世界は、現実があり、現実では交換の法則に従うしかありません。その交換の法則の中に、高次のパワーが存在しているのであり、私たちが生きているこの現実は、その認知方法や、認知場所、認知プロセスに違いはあれど、現実として一つの形を形成しているということを知るべきです。

この世界で、人生を謳歌している人がたった一つだけ、信じていることは

「逃げない」

これではないでしょうか。

逃げてもいいですし、逃げたいと思って、逃げないという選択肢もいいと思います。

ただ、一つだけ言わせてください。現実から目をそらさずに、現実を凝視してみれば、必ずそこに何かの発見があり、それは結果的に宇宙がもつ偉大なパワーにも繋がっているはずです。

私は前世が見えたり、目の前にいる人のカラーが見えたりすることがありますが、それはそれ。何も特別な能力ではなく、皆が普通に持っている力なのです。そして、その力の有無が、現実を大きく変えることはありません。

全ては「呼吸」です。

吸うと吐く。

入力と出力。

半分半分。

 

染井碧