放たれたボールの行方

力をかけて、上昇したもの(させられたもの)は、いずれ落ちてしまいます。それが他者によるものでも、自発的なものでも。まるで放たれたボールが放物線を描いていずれはどこかに落ちてしまうように。

ですから、「自分は上り調子だ」という言葉は気をつけなければなりません。それがロケットのように何かのパワーで進んでる場合は特に。それよりも、最近この物語でよく出てくるエネルギールームを変えるよう努力をしなければならないと思うわけです。階層のような。4Fが怒りの階層なら5Fの許しの階層へ。その後6Fの平静さという階層へというように。

次に、エネルギールームの共有。エネルギールームは自分一人だけのもので、扉を開けて違うルームに行ったり、違う階層に行ったりする。ここまでを覚えたら、次に、他者をそのルームに招くという発想がとても大切になってきます。

自分では流せない涙も他者を通じて流れることで自然に自分の詰まった「共感覚」の塊を流すことができるからです。

事実として、人は一人では何もできません。だから人に頼り、人にもたらされた気づきから自分の成長や、反省に繋げることができます。しかし、人からもたらされるものはたくさんのカテゴリがあります。人が大切だと伝えていても、人により傷ついていることあると思います。

繋がり、離れ、また別のものに繋がる。脳の記憶プロセスと同じように、人の関係も太くなったり細くなったり、無くなったり元に戻ったりするわけです。

ただ。

人間関係をスタートするということは、同時にゴールを見ているのです。見ているというより、ゴールがどんな結末であれ、ゴールがあることを私たちは知っています。放たれたボールは、現物理法則の世界では、どこかに着地します。それなのに、私たちはその着地が自分より始まったことを忘れ、人の所為、出来事の所為、環境の所為にするのです。

残酷なことを言うようですが、全てはあなたが生まれたことによる副産物。全て。宇宙がなんであるかとか、前世からの転生とか全て。あなたが生まれたから生じたことです。

生きていく中で起こる様々なことは、その出来事の大小や善悪のさじ加減まで、あなたによって表現されています。

もうあなたの人生は、投げられていますよね。その放物線が描く先は、もう決まっています。これは運命論ではなく、物理の法則なのですから。