<ショート>記憶と言葉

風が強く吹いている。男が羽織っているロングコートは足首まであり、その裾は風になびいて広がったり収まったりを繰り返している。男が立っている橋には時折車がヘッドライトをハイビームにしながら通り過ぎる。

男は橋の上からビルの頂上で点滅する赤いランプを眺めていたが、しばらくして、眺めていた視線を下に向ける。川の流れはいつもより早い。

男は、両手をついて右足を上げる。そのまま右足を橋桁に乗せ乗り上げると、橋の上に立ち、両手を水平に広げ、後ろを向いた。

ゆっくりと男の体は傾き、数秒後、大きな塊が水に落ちた音がした。

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これまで、ずっと言葉のある世界に生きてきた。もちろんその世界観について疑うこともなければ、その意味について深く掘り下げることもなかった。しかしながら、今思うのだ。言葉のない世界で、私たちが幸福を見出せないというのは、果たして真実なのだろうかと。

乳児は、初めに言葉の存在を知らない。その分、すべての表現が過激で、私たちはその乳児が一体何を表現しようとしているのかについて、あらゆる情報を駆使しながら、読み取る必要がある。彼、もしくは彼女は、包まれている分言葉を知らなくても幸福を感じていると予想ができる。

言葉を覚えることで、伝える能力が広がり、他者とのコミュニケーションを円滑に進めることができる分、伝えるべきこと、伝えなくてもいいことや、伝えたくても留めることの必要性、そして双方の差について学習が始まっていく。そして、他者を喜ばせることで自分が幸福感を得ることができるという段階まで到達したとたん、人はなぜか幸福から遠ざかっていく。

仮に、言葉がこの世界の現実を創造するとしたら、その対極にいる幼児や乳児において、この世界の願いなど無いに等しい。しかし、彼らは一番願いを叶えている存在と言える。言葉を知れば知るほどに、私たちはこの世界の真実から遠ざかっていく。

ショートストーリー:染井碧